音楽好き好き

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日々気合

就活という名のショック療法,そして無我へ

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時々,自分でも不気味なくらいポジティブな発想が湧くことがあります.例えば,私にとって就活はショック療法である,といったようなアイデアとか.

第一志望の企業の面接で落ちたという話は以前書きました.

nagura260404.hatenablog.com

 サイクリングの後も色々な人と会話をしてずいぶん救われましたが,それらを通して気がついたのは,私は意外と思い込みが激しく,視野が幾分狭いということです.自分にこのような性質があるというのは,実はかなり意外でした.なぜなら,自分はその正反対の人種だと思い込んでいたからです(ほら,すでに思い込んでるでしょう).

視野が広い,と思い込んでいた理由として,趣味が比較的多いことが挙げられます.音楽,本,ジャグリング,ゲーム,写真,キャンプ,プログラミング,電子工作etc.しかし,趣味が多いからといって,必ずしも視野が広いとは言えません.視野が広いということは,自分の興味の有無に関わらず,客観的に様々な可能性を検討できる,ということです.一方で趣味というのは,興味のあることだけやっていれば勝手に増えていくものです. そして,私は興味のないものに対して恐ろしく冷淡でした.自分と関係のあること(音楽など),無いこと(社会情勢など),という線引きが強烈なんですね.よっぽど興味の範囲が広くない限り,この態度は,むしろ視野が狭いと言えると思います.

そして,あまりよく考えずに自分はこういう人間であるというレッテルを自分に貼り,本当にそうであるかを問い直すことをさぼってきたように思います.他人がどういう人間かどうかは追及するクセ,自分のことは自分がよく分かっている,という傲慢な態度は自分への追及を鈍らせ,思い込みを助長していました.

それら目を背けたくなるような事実を,就活は暴き出しました.自分が認識していた自分という像が合致すると思っていた企業に落ちた時,自分の核が丸ごと抜き去られたような空恐ろしい気分になりました.

しかし,そこには絶望的で死にたくなるような気分と同時に,洗脳もしくは呪いが解かれたような,ある種の解放感がありました.「なんだ,他の企業も面白いことやってるやん,別にあの企業じゃなくても,死なんやん」みたいな境地に辿り着きました.

極論,大抵の認識は思い込みなんでしょう.「その企業でなければいけない」なんてことを志望動機では言わされますが,所詮ただの思い込みです.就活が上手な先輩の言う「ある程度嘘が必要」という言葉.私は嫌っていました.本当の気持ちを出して就職するんだ,と.しかし,本当の気持ちとは何でしょうか?本当だと思い込んでるだけなんじゃない?根拠ないじゃん.そんなものにこだわるのは,宗教を盲信するのとなんら変わりないです.

自己分析で本当に自分がしたいことを見つけろという人がいます.でも,本当に自分がしたいことだって,所詮思い込みじゃないですか.それが実現できなかったところで,死にゃしません.結局,私が自己分析で得られたのは,自分が本当にやりたいこと,なんてものは幻想であるという無我の境地でした.これで,自分が面接で喋っていることに罪悪感を抱かなくて済みます.だってその志望動機は本当ではないかもしれないけど,嘘とも言い切れませんから.