高校時代、私は写真部を“追放”された。
理由ははっきりしている。写真を撮らなかったから──いや、正確には「写真を撮っていたけれど、提出しなかった」から、である。
周囲の部員が、文化祭で笑顔の生徒を撮り、昼休みにグラウンドで走る運動部を狙い、春の花壇に寄っては「これぞ青春」と言わんばかりのレタッチを施していたころ、私のSDカードに収まっていたのは、夕暮れのベランダにぶら下がる洗濯バサミや、誰もいない校庭に斜めに差す光、電柱の影が横切る廃材置き場、そして、ゴミ集積所の透明な袋の中で微かに透ける誰かの生活だった。
写真は撮っていた。だが、人間は写っていなかった。
いや、もっと言えば──私は**「感情」を撮らなかった**。
というより、撮るのが怖かった。
思えばそのころの私は、人というものに少し怯えていたのかもしれない。
中学時代、大切だと思っていた友人から向けられた、あまりに無邪気な残酷さ。
言葉にできない引っかかりが、私を写真の裏側に押しやっていた。
笑顔を写したフレームは、私にとって眩しすぎた。
写真部の空気もまた、馴染まなかった。
女子部員が多数を占め、男子は私を含めて四人。
だが、他の三名の男子全員を、私はことごとく苦手としていた。
何がどうというわけではない。ただ、どうしても肌が合わなかった。
そして、ある日顧問に言われた。
「コンクールに何も出さないのなら、部として認められないよ」
それは形式的な注意だったのかもしれない。だが、私には十分だった。
以後、部室に顔を出すのをやめた。
写真部をやめたというより、「写真部から静かに姿を消した」というのが正確かもしれない。
だが私は、居場所を失っていたわけではない。
すでに、逃げ場所を見つけていた。
数学部──正確には、数学部の隅っこに自然発生的に生まれていたカードゲームの吹き溜まりである。