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フロイトのイタリア

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二回生の時に受けた芸術論Ⅲという一般教養科目で書いたレポートを公開します.レポートと言うか,教科書を要約しただけですね.

 イタリア旅行がフロイトに及ぼした影響について

 

フロイト1895年から始まった幾度にもわたるイタリア旅行は、後の彼の精神分析論の構築に非常に大きく貢献した。例えば、フロイトの有名な思想にエディプス・コンプレックスがあるが、これは彼のイタリア旅行そのものが「父を超える旅」であるという着想から生まれたものである。フロイトは、初めてのイタリア旅行から1901年まで何度もイタリアを訪ねているが、なかなかローマにたどり着くことができなかった。これは物理的な問題ではなく精神的な問題であった。ローマに行きたくなかった訳ではなかった、むしろローマに行くことを切望していたのに、なぜ彼は躊躇してしまったのか?一方で、1900年にフロイトは『夢判断』を完成させ、翌年にあっさりローマへの訪問を果たしている。これはおそらく無関係ではない。「ROMA」を逆から読むと、「AMOR(愛)」となることはフロイト自身も意識しているが、フロイトはこのことと禁じられた愛すなわち潜在的な近親相姦への願望とを重ね合わせて考えているように思われる。もともと旅には束縛を逃れて自由になるという意味も容易に連想されるが、フロイトにとって旅とは、「父」から逃れるためという意味合いもあったようである。彼の父親ヤコブは熱心なユダヤ教徒であり、ユダヤ教一神教偶像崇拝を禁止している。当然息子のフロイトも影響を受けていたために、さすがにヤコブの生前は後々高じていくことになる骨董品収集はまだ始まっていないが、ヤコブの死後はユダヤ教の二重のタブーを犯すこの行為を堂々と行っている。これは「父」に対する反発と見ることもできないではない。そしてイタリア旅行が「父」に対する反抗、反発という意味合いを持っていると考えると、その目的地であるローマが「母」のイメージと重なるのは不自然なことではない。そうしてローマに対する禁じられた母への愛のイメージが、フロイトがローマにたどり着くことを妨げていたと考えられる。ローマを歩くことは、大地(母)を踏みしめる=母を征服すると解釈できる。しかし、『夢判断』の完成という大仕事を終えたフロイトは、父を超えることができたという実感があったのだろうか、その翌年には念願のローマを堪能している。のちに「成功したという満足感はある罪悪感が付きまとう」と語るが、このイタリア旅行がエディプス・コンプレックスの発想に大きく寄与したことは疑いようがないだろう。

フロイトのローマ訪問前年に完成された『夢判断』にもイタリア旅行の影響は顕著であり、フロイトの見た夢が47登場するが、そのうちの15はイタリアの夢で、さらに4はローマの夢である。ローマの4つの夢を具体的にあげると、

第一の夢:彼は車窓からテヴェレ川と天使城を眺めている。しかし、そのうちに「汽車が動き出して、自分がまだローマの町に足を踏み入れていないことに気づいた」。

第二の夢:彼は誰かに丘の上に案内されて、「半ば霧に包まれたローマ」を遠くから眺めている。「とても遠方なのに、よくもこうはっきりと見えるものだ」と、夢の中で不思議に思いつつも感心している。

第三の夢:いよいよ彼はローマの町中にいる。ところが、少しも大都会らしい眺めでないことにやや失望を感じている。その町には、黒っぽい水の流れている小さな川があって、その一方の岸部は黒い岩、他方の岸部は草地で大きな白い花が咲いている。するとそこに「ツッカー氏(この人はちょっとした知り合いである)がいるのを認めて、町へ行く道をきこうと決心した」。

第四の夢:彼はたしかにローマにきているのだが、眼前に見える街角には、どうしたことかドイツ語の広告があふれかえっていて、とても「奇異に感じた」。

 

これらの一連のローマの夢は、当然ローマを訪ねる以前に見たものである。第一、第二の夢ではまだローマに入ることができていないが、第三、第四の夢ではローマに入ることができている。ただ、ここで夢の詳細な考察は本題からそれるため行わないが、これらの夢はフロイト自身に「なぜローマに憧れるのか」という疑問を提供し、それが自己分析によるエディプス・コンプレックスの発見につながり、『夢判断』の重要な部分を占めることになることはイタリア旅行の賜物であろう。

『夢判断』の翌年に出版した『日常生活の精神病理学』においても、フロイトのイタリア旅行での出来事にまつわる興味深い議論がなされている。話の舞台はイタリアのラグーサからヘルツェゴヴィナの馬車の中である。フロイトが乗り合わせた男にオルヴィエートの大聖堂にあるシニョレッリの大壁画を見たことがあるかと尋ねようとしたところ、この画家の名前を思い出せなくて口ごもってしまう。代わりにボッティチェリとボルトラッフィオという画家の名を思い出していた。この時の何でもないような出来事をフロイトは彼なりに自己分析するのである。彼らはこの話題に移る前に、ボスニアヘルツェゴヴィナに住んでいるトルコ人の風俗習慣について話していたが、その時フロイト脳裏にその地で開業している知人の医者に聞いたトルコ人の強い性欲についての話がよぎった。また、その旅行の数週間まえには、「さんざん手を焼いた患者が不治の性的障害のために自殺した」という知らせも受けており、それらは「死と性欲」のテーマと深く結びついているため、無意識のうちにそれらを抑圧しようとして「シニョレッリ」の名前が忘れられてしまい、代わりに別の名前が浮かんだのではないかと彼は推測している。詳しい解釈は彼自身が残した図解になされているが、その図解そのものが『ラカンの思想』のミケル・ボルク=ヤコブセンに「壁画」のようだと評される。フロイトは例の度忘れをした時にも、その大壁画そのものは鮮明に思い出していた。図解が壁画のようであると形容されたことはこれと無関係ではないように思われる。このように、フロイトのイタリア旅行とそれに随伴する美術の鑑賞の成果はすでに彼の自己分析の強力な武器となっている。

ポンペイはヴェルヘルム・イェンゼンの幻想恋愛小説『グラディーヴァ』の舞台である。フロイトの「W・イェンゼン著『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」に取り上げられたこの小説の主人公は、若い考古学者ノルベルト・ハーノルト。神経症的な考古学者でイタリア通、さらにはコレクターである彼にフロイトは自分を重ね合わせて精神分析を試みた。この話の大筋は、ハーノルトがローマの美術館で一枚の浮彫を見てその虜になり、「グラディーヴァ(歩みゆく女)」と名付ける。さらに想像をふくらませ、この女性がポンペイにかつて現存していて、ヴェズヴィーオ火山の大噴火で犠牲となったときのままの姿が石の中に永遠にとどめられていると考えるようになり、彼女の「足跡」を見つけるためにイタリアを旅してポンペイに到着する。そこで偶然にもハーノルトがかつて淡い恋心を抱いた幼馴染のツェオ・ベルトガングに遭遇する。ツェオはギリシア語で「生」、ベルトガングはドイツ語で「美しく歩む人」を意味し、浮彫のグラディーヴァと重なる。その出会いをきっかけにして、主人公は彼女への愛を取り戻し、妄想から解放されて大団円となる。というものである。フロイトはこの物語を、「分析家」すなわちベルトガングが「被分析者」ハーノルトを精神分析的手法で治療する物語ともとれると考えた。ハッピーエンドで終わるこの物語に、精神分析の有効性を見出したがっているようでもある。フロイトはハーノルトと自分を重ねるから、「分析家」と「被分析者」両方の観点からこの物語を分析した。これは、「分析家」であるフロイトが、「被分析者」であるフロイトを分析する一種の自己分析ととることもできる。

エディプス・コンプレックス、『夢判断』、『日常生活の精神病理学』、「W・イェンゼン著『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」と4つの事例をみてきたが、このようにフロイトの主な仕事にはイタリア旅行で経験した出来事などが大きく影響を及ぼしていることがわかる。というよりも必要不可欠と言ってよい。

フロイトの思想,個人的にはあんま面白くないですね.「だから何?」って感じ.よく知らないですけど.