音楽好き好き

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日々気合

記号・意味・芸術・人間

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1+1=2.当たり前ですか?「+」が加法を意味するならば,そうでしょう.では,1#1を計算できますか?

人は対象に向き合う時,記号と意味をごっちゃにしがちです.上記の例で言えば,「+」は記号,そしてこの記号が加法を意味しています.しかし「+」という記号自体に本来意味は無いはずです.人間が勝手にこの記号に加法という意味を割り当てたにすぎません.記号論理学という学問は,この点を厳密に区別します.記号はあくまで記号,意味なんてありません.1+1=2という計算は,「+」を意味の世界で勝手に加法と解釈しただけです.

この世のあらゆる事象,実在は記号であり,意味を見出すのは人の勝手.逆に言えば,どんなに無駄に思えることにも意味は見いだせるとも言えます.

例えばナイフはただの金属片でしかないですが,人はパンを一口サイズに切るという意味をこれに付与しました.

言語だってただの記号です.人間同士がお互いに意味を取り決めた符牒,大抵の場合同じ言葉に対して概ね共通の理解があり,それが人々の円滑なコミュニケーションを可能にします.

芸術はどうでしょうか.やはり記号でしょう.しかし,ナイフや言語とは意味の与えられ方が異なります.ナイフや言語は人々の共通認識の下で意味を与えられます.ナイフは誰が見てもナイフですし,「馬鹿」と言われて嬉しい人は少数派でしょう.

では,音楽や絵,その他およそ芸術と呼ばれるものに,大多数の人間が同じ感想をもつでしょうか.持つかもしれません.しかし,それではナイフと一緒です.何らかの機能が想定された音楽,例えばBGMなどは,芸術というよりはむしろナイフに近いですね.きっと芸術性は,人によって多様な解釈が可能な作品にこそ宿るものなのでしょう.

私はここ最近,人間それ自体も記号であり,芸術でもあると考えています.人は自分の人生を作るアーティストで,そこに意味を込めるかも知れないし,込めないかもしれない.その人生を他人は意味のあるものだと考えるかもしれないし,無意味だと思うかもしれません.でも記号そのものに貴賤はありませんから,人間そのものにも貴賤は無く,ひいては人生にも貴賤はないはず.良い人生だったと思えさえすれば,それは誰が何と言おうと良い人生なんでしょう.

意味を陽に想定されない,むき出しの記号としての芸術は,世界に投げ出された何者でもない自分とどこか重なります.芸術の認められる世界は,きっと多様な人間が生きやすいものとなるでしょう.しかし,意味を求めて合理化を目指す現代社会では,人はナイフのように役に立つことを求められます.勝手に意味を押し付けられて,役に立たなければ負け犬とか言われますけど,なぜそんな風に社会が形成されてしまったのでしょうか.どんな人間も,芸術品として扱われるべきだと思います.それが人の尊厳というものではないでしょうか.

nagura260404.hatenablog.com

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